卑弥呼(ひみこ) 2〜3世紀 (生没年不詳)

卑弥呼

3世紀半ばごろの邪馬台国 (やまたいこく) の女王です。邪馬台国は2世紀前半から3世紀後半ごろにあった、最も強大な国です。

卑弥呼が統治 (とうち)

日本の古代史に関する最古の史料である中国の歴史書「魏志倭人伝 (ぎしわじんでん) 」によれば、紀元後3世紀の日本には30の国があり、最強の国が女王・卑弥呼が統治 (とうち) する邪馬台国 (やまたいこく) だったと伝えられています。

卑弥呼は鬼道 (きどう) を使うことができたそうです。鬼道とは、中国の考え方をとり入れた新しいタイプの呪術 (じゅじゅつ) だったようです。米作りは天候に左右されるため、弥生時代 (やよいじだい) には豊作 (ほうさく) の祈 (いの) りが始まりました。呪術や祈りは人びとの心のなかで大きなウエイトを占めていたようです。卑弥呼にはカリスマのような権威 (けんい) があり、その存在感は現代の私たちが想像 (そうぞう) するよりも強大だったと思われます。

卑弥呼の外交

卑弥呼は女王として、他国との外交をにないました。239年、卑弥呼は魏 (ぎ) という国の首都に使節を送り、贈り物をして、明帝より「親魏倭王 (しんぎわおう) 」の称号 (しょうごう) を受けています。239年は魏が、呉 (ご) という国と同盟 (どうめい) している公孫氏 (こうそんし) をやぶった直後で、卑弥呼は絶妙 (ぜつみょう=この上なくたくみなこと) のタイミングで勝利者側に使節を遣 (つか) わしていることになります。国際ニュースにもとづいて外交手腕 (がいこうしゅわん) をはっきしていたといえるかもしれません。この時代の日本は、青銅器 (せいどうき) ・鉄器などの原材料を海外からゆ入していました。そのため、朝鮮半島、中国との交流は不可欠でした。卑弥呼はこの国際交流を維持 (いじ) し、この時代に農具の鉄器化が進みました。

米作りの発展 (はってん) をになった女王

農業生産力の発展が余剰 (よじょう=あまり) の生産物を生み、人口が増加 (ぞうか) し、新たな新田開発が望まれ、その結果、土地をめぐる戦乱となる。この悪循環 (あくじゅんかん) を強い力で抑 (おさ) えて平和をもたらしたのが卑弥呼です。また同時代に鍬 (くわ) や鋤 (すき) といった農具の鉄器化が進みました。米作りの発展とともに、国々はやがて統一されて、「日本」という大きな国が作られていくことになります。米は日本の社会の基礎 (きそ) となっていきました。

「くぼたのたんぼ」では平和の維持 (いじ) と国際交流の促進 (そくしん=おしすすめること) による農具の鉄器化の進展、この二つの側面から、卑弥呼を米作りの発展をになった女王とさせていただきたいと思います。

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