小野小町(おののこまち) 9世紀頃 (生没年未詳)

小野小町

平安前期の歌人。絶世の美人としても誉 (ほま) れが高い。史実 (しじつ=れきし上の事実) にとぼしく謎 (なぞ) に包まれており、その謎がさまざまな伝説をもたらしています。

美しさと和歌の才能でスーパーアイドルに

小野小町はまず、絶世の美人として知られています。そして、同じく歌人である紀貫之 (きのつらゆき) は「小野小町の歌には、美人が思いなやんでいるなまめかしさがあります」と優美 (ゆうび=上品で美しい) な歌を絶賛 (ぜっさん=この上なくほめること) しています。

「古今和歌集」では小野小町は、さまざまな相手と恋 (こい) の歌のやりとりをしています。数々の浮名 (うきな=男女のうわさ) を流し、言いよる男性を美しさと歌の才能で魅了 (みりょう=こころを引きつけて、む中にさせる) しながら、実さいにはよせつけなかったとも伝えられています。

和歌の力で旱魃 (かんばつ) をとめた雨ふり小町伝説

小町伝説のゆうめいなものに雨ふり小町があります。旱魃 (かんばつ) で人びとは耕作 (こうさう) の種を失い、なげき悲しんでいました。ため池はかれ、道は灰のようになっていました。高名な僧 (そう) や陰陽師 (おんみょうじ) が降雨術 (こううじゅつ) を行いましたが、いっこうに効果 (こうか) がありません。そこで、小野小町がめしだされ、神泉苑 (しんせんえん) で一首の和歌をよみました。

「ちはやぶる 神もみまさば立ち騒 (さわ) ぎ 天の門川 (とがわ) の樋口 (ひぐち) あけ給 (たま) へ」

「神様がいらっしゃるなら、立ち騒いで、天の川の樋口をあけてください」といった歌です。そして、この和歌を書いた短冊 (たんざく) を神泉苑の池にうかべると、たちどころに比叡山 (ひえいざん) から黒雲がわき、大雨がふり、五穀成就 (ごごくじょうじゅ=おもなこく物がみのる) したと伝えられています。

小町の晩年伝説

小野小町には、不幸な晩年を送ったとされる伝説があります。高野山を出て都に上って来た僧が夕ぐれ、道ばたの卒都婆 (そとば=くようのために、はかに立てる板) にこしかけている老女を見て、その行為 (こうい) をとがめたところ、ぎゃくに老女から仏の道を説かれます。この老女が、美しさが衰 (おとろえ) え、生活にこまり、ちまたをさまよっていた小野小町だったというのが、能 (のう) の「卒塔婆小町」です。

小野小町の人物像は謎であり、すでに平安時代中期から伝説の人となっていました。その伝説はいまも生き続け、全国各地に小町伝説が残されています。美しさの対極 (たいきょく=反対) としての老後の姿。雨をふらせて旱魃をとめる降雨術は、米作りの国・日本にとっては最も役に立つ超能力 (ちょうのうりょく) であり、高名な僧や陰陽師がこれに取り組んでいました。和歌の力で旱魃を食い止めた雨ふり小町の伝説。そんな伝説が生まれるほど、小野小町の美しさと才能は、まさに魔力的 (まりょくてき) だったのでしょう。

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