お千さん(※架空 (かくう) の人物です)

お千さん

千歯扱き (せんばこき) の歯は最初は竹でできており、麦の脱穀 (だっこく) に使用されていました。それがいつのころからか鉄製 (てつせい) に変わり、固い米の脱穀が可能 (かのう) となりました。この鉄製千歯扱きの発明者が誰 (だれ) なのかは、分かっていません。このころは、脱穀は女性の仕事であったと推測されています。そこで、鉄製千歯扱きの発明に女性がかかわっていたとして、仮 (かり) にお千さんと名づけて物語としました。フィクションであり、歴史的事実ではありません。気楽にお楽しみください。

夫に先立たれ、脱穀の仕事でくらしをたてるお千さん

お千さんは、江戸 (えど) から遠くはなれたある農村の女性です。両親をなくし、わかくして夫もなくし、農家の脱穀の手伝いを仕事としていました。働き者で、貧 (まず) しいながらもくらしをたて、年のはなれた弟を苦労して育てあげました。この春から、弟はようやく隣村 (となりむら) の釘職人 (くぎしょくにん) の家に弟子入りするまでになりました。

さて、お千さんの仕事は稲 (いね) の脱穀です。当時、脱穀は大変な作業でした。扱箸 (こきはし) といって、2本の竹を箸のように持って、少しずつ稲を扱 (こ) いていました。効率 (こうりつ) が悪く、早朝から夜遅くまで働かなくてはなりませんでした。「米の脱穀は大変だわ。麦なら、千歯扱きがあるからラクなのになあ」と、お千さんは暮れはじめた空を見上げて、ため息をつきました。今日中に扱かなければならない稲束 (いなたば) の山も、夕日で朱色 (しゅいろ) にそまっています。

ここでお千さんが言っている千歯扱きとは、麦を脱穀する便利な農具です。竹製の歯が十数枚ならべてあり、歯と歯の間に麦の束を入れて引きぬくと、麦が一度にたくさん脱穀できます。しかし、千歯扱きは歯が竹でできているので、麦なら脱穀できるのですが、固い米を脱穀することはできません。米を脱穀しようとすると、竹の歯がおれてしまいます。

釘職人による挑戦 (ちょうせん)

ある時、お千さんは竹の代わりに、鉄の歯を使ってはどうか、と思いつきます。隣村には釘職人がたくさん住んでおり、鉄の塊 (かたまり) を細く長くする技術 (ぎじゅつ) を競っていました。ちょうど弟が、釘職人の家に弟子入りしています。ある夜、お千さんは、弟にこのアイデアを打ち明けます。姉の苦労を知っていた弟は、親方に相談しました。親方は怒鳴 (どな) りつけました。「半人前が、一人前の口をきくんじゃねえ。まずまともな釘を作ってみやがれ」。弟はあまりのこわさに、ふるえ上がりました。しかし、それがお千さんの願いと知ると、親方は鉄をとかす火をしばらくじっとながめてから、きっぱりと言いました。「そうかい。あの働き者のお千さんの言うことなのか。ならば、無茶を承知 (しょうち) で挑戦してみようじゃないか」

こうして、鉄製千歯扱きへの挑戦が始まりました。釘職人たちは親方を中心に一丸となって、知恵を出し合い、工夫に工夫を重ねました。問題は竹の歯にそっくりの鉄歯を作ることと、それを米の脱穀にたえるほど丈夫 (じょうぶ) にとり付けることにあります。一方では注文されている仕事をきちんとこなさなければならず、寝食 (しんしょく) をけずっての努力です。こうして数週間後のある朝、一番鶏 (いちばんどり) がなくころ、ついに鉄製の歯を持つ千歯扱きが完成しました。

お千さんの涙

親方と弟はこの鉄歯の千歯扱きを持って、お千さんの元をおとずれました。帰りのおそい弟を寝 (ね) ずに待っていたお千さんの前で、親方は黙ってお米の脱穀をして見せました。お千さんは、おどろきの声を上げました。あの固い米が、まるで麦のようにどんどん脱穀されていくのです。弟が、うれしそうに言いました。「できたよ、お姉ちゃんの千歯扱きが」

お千さんは、プレゼントされた鉄製千歯扱き第一号を愛 (いと) おしそうにながめました。そして、親方と弟がにこにこして見守るなかで、藁束 (わらたば) をつかみ、鉄製千歯扱きで脱穀作業を始めました。しかし、お千さんは藁束を引きぬくことができませんでした。米はやはり固く、お千さんの力では脱穀することができなかったのです。

「お姉ちゃんの力では、無理みたい。とても女の力では脱穀できないわ」。お千さんはうつむいて、涙 (なみだ) をはらはらと流しました。弟はおろおろして言いました。「姉さん、ごめんね、こんなもの作らない方が良かったんだ」。お千さんは顔を上げました。すると驚いたことに、お千さんは涙を流しながらも、満面の笑顔 (えがお) だったのです。「何を言ってんのよ、この子は。この鉄製千歯扱きはきっと人様の役に立つわ。お姉ちゃんは、あんなに幼 (おさな) かったお前様が、立派 (りっぱ) になってくれたのがうれしくって、それで涙がとまらないんじゃないか。ありがとう。本当にありがとうね」。鉄歯にお千さんのうれし涙がしたたり、朝日にきらりと光りました。

というようなことがあったかどうかは分かりませんが、鉄歯の千歯扱きが発明されて、脱穀の効率は飛躍的 (ひやくてき) に向上しました。それは評判をよび、全国の鍛冶職人 (かじしょくにん) が鉄製千歯扱きを作り始めたようです。こうして、日本中の村々に千歯扱きが行きわたるようになりました。米の脱穀は強い力を必要としたため、脱穀の仕事は徐々 (じょじょ) に、女性から男性の仕事に移っていったとも伝えられています。

鉄製千歯扱きがふきゅうし、全国の農民の助けとなる

千歯扱きは歯が多くあるから千歯扱き、また千把 (せんば) を扱くことができるので千把扱きと呼ぶなどの説があります。歯の数は19本、23本、25本が一般的です。江戸時代は歯は長方形でしたが、その後、半円形、三角形などへと改良されます。また、歯のならべ方を湾曲形 (わんきょくがた) にして、藁束を扇 (おおぎ) のように広げ、扱手 (こきて) からそれぞれの歯が等距離 (とうきょり) となるような工夫もされました。明治時代に足ぶみ式脱穀機が発明されるまでの約200年間、広く愛用されました。

ここでは仮にお千さんという女性に設定しましたが、鉄歯の千歯扱きを発明した方は必ず実在 (じつざい) したはずです。誰とは知られていないその方こそ、まさに田んぼのヒーローの名にふさわしいと思います。

徳川光圀 (とくがわみつくに)

伊能忠敬 (いのうただたか)