安倍晴明(あべのせいめい) 延喜二十一年 (921年)〜寛弘二年 (1005年)

安部晴明

平安中期の陰陽師 (おんみょうじ) 。不思議 (ふしぎ) なわざをなす精霊 (せいれい=すべての物の根げんをなすふしぎな気) を使い、あらゆることを未然に知ったと伝えられている。

平安京を闇 (やみ) の勢力から守る陰陽師

平安時代は貴族 (きぞく) 文化が開花した、はなやかな時代とされていますが、一方、せい治上のあらそいに破れた人びとが怨霊 (おんりょう) となっておそいかかる闇 (やみ) の時代だともいわれています。平安京はこの怨霊や鬼 (おに) から守るために作った防衛都市 (ぼうえいとし) です。そして、この防衛役をになったのが陰陽師 (おんみょうじ) です。陰陽師は占術 (せんじゅつ=うらないの方法) と呪術 (じゅじゅつ) の達人だったそうです。

百鬼夜行 (ひゃっきやぎょう) が見える謎 (なぞ) の少年

その少年の父は陰陽師、母は美しい女にばけた白い狐 (きつね) だったと伝えられています。

ある日、少年は陰陽師・賀茂忠行 (かものただゆき) のともをして、下京のあたりに行ったことがありました。少年は車の後を歩き、忠行は車の中でねむりこんでいました。ふと前方を見ると鬼共が歩いてきます。京の都では、時には百鬼夜行といって鬼や妖怪 (ようかい) たちが行列を作り、祭りのように、ねり歩いていたといいます。少年は忠行を起こして、このことを伝えました。忠行は術 (じゅつ) で自分やともの者たちの姿 (すがた) をかくして、無事にやりすごすことができたのです。それから忠行は、少年を手放しがたく思い、陰陽の道を全て教えました。この少年こそ、後に陰陽師として京の闇を支配したといわれる安倍晴明 (あべのせいめい) です。

平安の闇に君臨 (くんりん) した当代一の陰陽師

安倍晴明は人びとを苦しみから解放するために、人びとにまとわりつく怨 (うら) みや怨霊をするどい目でみぬき、光と闇を行き来したといわれています。数々の伝説が残されています。

ある日、安倍晴明は子どもたちが一匹の小さな白いヘビをいじめているところに通りかかり、ヘビを助けました。そのヘビは竜宮城 (りゅうぐうじょう) の乙姫 (おとひめ) でした。お礼に竜宮に案内され、帰りに耳に烏薬 (うやく) をぬってもらうと、鳥たちの話が分かるようになりました。

ある日、安倍晴明に僧 (そう) たちから要請 (ようせい) がありました。高僧が大病にかかり死にひんしている、弟子たちが祈祷 (きとう=神にいのる) したが効果がないので何とかしてほしいと。晴明は、治すことはできるが条件がある、高僧の身代わりになる人間が必要だとつげました。それを聞いた弟子の一人が名乗りをあげました。そこで晴明は祭壇 (さいだん) を築 (きず) いて高僧の病気転移と延命のための祈祷を行いました。その結果、高僧も身代わりになるはずだった弟子も助かりました。これこそ命をとりかえる秘中の秘 (ひちゅうのひ) とされた呪術・泰山府君 (たいざんふくん) の祭です。

降雨術 (こううじゅつ) で農業を守る

長保六年 (1004年) 、安倍晴明は84才で、天文博士という重職 (じゅうしょく) にありました。さて、その年は史上まれにみる大旱魃 (かんばつ) でした。7月には日照りが続き、農作物は全滅 (ぜんめつ) し、人びとは飢 (う) えていました。高僧が弟子の僧10人とともに大和で降雨の祈祷を行いました。また、七大寺並びに十一社で雨乞いをさせたところ、雷の音とともにわずかな雨がふり、夕立がありました。しかし、ついに安倍晴明の出番となりました。そして、安倍晴明が五龍祭 (ごりゅうさい=雨乞いの祭り) を行うと、ついに大雨となったそうです。旱魃 (かんばつ) による飢饉 (ききん=農作物が実らず、うえ苦しむこと) から人びとを救った清らかな雨。それは数々の安倍晴明伝説のなかでも、もっとも光にみちたものでしょう。

小野小町 (おののこまち)

北条泰時 (ほうじょうやすとき)