江戸時代1603年から1868年

江戸時代1

江戸時代も経済の中心はお米でした。生産された米は年貢として納められ、大名はこれを大阪や江戸で売って収入としていました。大名の大きさは石高 (こくだか) で表しました。一石は約180リットル (約150キログラム) で、1人が1年間に食べるお米の量にあたります。

江戸時代に入ると、他の国に攻め込んで領土拡大をすることが出来なくなり、大名たちは自分の領地で水田を増やすようになりました。このため、江戸時代初期にはそれぞれの領地での新田開発ブームが起りました。工事は大規模化し、平野が広がりました。

徳川幕府も大規模な開発を行います。関東平野の台地をひらいた武蔵野新田、下総国 (しもうさのくに) の沼を干拓した飯沼新田。また、もともとは東京湾に注いでいた利根川を、徐々に東に向かわせ、千葉県の銚子の方に流れを変えてゆき、常陸川に合流させて大平洋に注ぐ川に変えてしまう大工事も行いました。江戸幕府は農民を厳しく統制しました。お米が社会の土台であったからです。

1643年 (寛永20年) には田畑の売買を禁止する田畑永代売買禁止令を、さらに分地制限令を出しました。そして農民支配に対する幕府の姿勢を総合したものが、1649年 (慶安2年) 、3代将軍家光のときに出された慶安の御触書です。これは五人組の制度をはじめ、農民の生活まで細かく規定したものでした。

江戸時代には、農民はほぼ50~60戸で1村落を作りました。村はしだいに行政組織となり、村の有力者を村役人に命じて行政を担わせました。それが名主 (なぬし) ・組頭 (くみがしら) ・百姓代 (ひゃくしょうだい) で、この3つを村方三役といいます。

稲の品種改良も進みました。民間の篤農家 (とくのうか) が、たまたま冷害のときなどに田んぼで元気に育っている数少ない稲を取り上げて、それを何年間も繰り返し栽培していったのです。新品種はお米の収穫量を増大させました。

江戸時代2

各種の農機具も開発されました。扱竹 (こきたけ) という、竹を箸のようにした道具に替わって千歯こき (せんばこき) が発明されました。千歯こきはその作業効率を10倍以上も高めたため、またたくまに全国各地に普及していきました。農家の人たちは、つねに効率の良い農機具を追い求めていたのです。

他にも耕作のための備中鍬 (びっちゅうぐわ) 、米を選別する唐箕 (とうみ) ・千石どおし、田畑に水を引くための龍骨車 (りゅうこつしゃ) 、足で踏んで水車を動かす踏車などが発明されました。

江戸時代には、江戸、大阪、京という大都市が生まれ、都市周辺の近郊農業が必要となりました。農家の人たちは農産物を都市に持って行き、帰りは糞尿を持ち帰って肥料にし、リサイクルしていました。他にも油かす、汚水、緑肥、堆肥、泥肥、魚のあらなどが使用され、とくに干し鰯は動物性の肥料として抜群の効果をもたらしました。

長い鎖国のせいもあってか、災害や害虫に対する知識は不足しており、虫送りや鳥追い、風祭り、雨乞い (あまごい) という行事で無事を祈るしか方法はありませんでした。そのため災害による凶作の年も多く、江戸時代には150回ほどの飢饉 (ききん) があり、そのうち大飢饉は30回も発生しています。そのため、農村は荒れ果てて、農民の都市への流入が激しくなりました。

  • 亨保 (きょうほう) の飢饉
    1732年 (亨保17年) 夏に長雨といなごが大発生したことによって起り、西日本一帯で米の収穫量が平年の15%しかないという大きな被害がもたらされ、全国で264万人以上の人が飢え、1万人以上の人が餓死したと伝えられています。
  • 天明 (てんめい) の飢饉
    1783年 (天明3年 )の霜の害によって起り、数年間続きました。この飢饉によって餓死した人の数は、全国で50万人以上にもおよんだといわれています。
  • 天保 (てんぽう) の飢饉
    1833年 (天保4年) に冷害、洪水、大風雨などが原因となり、1836年 (天保7年) ごろまで続きました。農村では百姓一揆が続き、都市でも貧しい町人たちが、米屋・質屋を襲う打ちこわしが起きましたが、幕府や諸藩はもうこれらを完全におさえる力がありませんでした。幕府の衰えは、誰の目にもあきらかになりました。

農業の発達とともに商品作物の生産が増加し、それにともなって商業や交通が発達してくると、しだいに貨幣が重要な役割をするようになって、商人が力を持ってきました。商人は米相場を決めて日本の経済を支配したのです。日本の文化は町人文化に移っていきました。また、江戸時代の終わり頃になって、人々を工場に集めて、水車などの動力を使う工場制手工業 (マニュファクチュア) があらわれるようになりました。
このようにして農村の自給自足経済は崩れていき、また、それを土台とする封建社会そのものも揺るがされていったのです。

安土桃山時代

明治時代