豊臣秀吉(とよとみひでよし) 天文六年 (1537年)〜慶長三年 (1598年)

豊臣秀吉

戦国・安土桃山時代の武将。織田信長に仕えて立身し、本能寺の変の後、明智光秀を討ち、信長の後継者の地位を得る。後に天下統一を達成した。天正十一年 (1583年) に大坂城 (現在は大阪城と表記) を築城。

武力による天下統一

豊臣秀吉の子供時代は、尾張国の農家の子であったとか、足軽の子であったなどさまざまな説がありますが、いずれにしても貧しい境遇 (きょうぐう) だったようです。それが青年時代に織田信長に仕えて、数々の戦いで手柄をたて、次第に頭角をあらわします。

中国地方の平定を命じられて、毛利輝元の大軍と対峙しているときに本能寺の変が起こりました。本能寺で明智光秀が織田信長を暗殺したのです。このとき豊臣秀吉は、信長の死を隠して毛利輝元と和睦 (わぼく) を結んで引き返し、山崎の合戦で明智光秀を倒しました。この後、豊臣秀吉は織田信長の実質的な後継者となりました。その後は四国、 九州、関東、東北の諸大名を次々と従え、天下統一を果たしました。

しかし、それは武力による統一でした。豊臣秀吉は、ここから本当の天下統一の事業を始めます。検地をはじめとしたさまざまな施策により、農業を基礎とした天下統一を果たすのです。

太閤検地、一地一作人制で農業を基礎とする天下統一へ

豊臣秀吉は1585年には関白となり、1590年にはて関白位を養子・秀次に譲って自らは太閤を称しました。豊臣秀吉が全国的に行った検地を太閤検地 (たいこうけんち) といいます。

検地とは田畑を測量し、米や麦などの収穫高を調べることです。秀吉はそれまで領地ごとにまちまちだった検地の基準を統一しました。面積については、六尺三寸 (約191cm) を一間 (けん) 、一間四方を一歩 (ぶ) 、三十歩を一畝 (せ) 、十畝を一反 (たん) 、十反を一町 (ちょう) としました。また、米を量る枡 (ます) は、京都付近で使われていた京枡 (きょうます) に統一しました。この京枡一杯分を一升 (しょう) 、十升を一斗 (と) 、十斗を一石 (こく) としました。また田や畑は収穫量などにより4段階に区分しました。これにより、すべての村の生産高が明確になり、租税を公平にかけることが可能となりました。

そして、一つの土地に対して複数の人々が権利を主張する荘園制を廃止しました。すべての土地を公有地とし、その土地を担当するのは農民一人と決めて検地帳に登録しました。これが「一地一作人 (いっちいちさくにん) の原則」です。農民は耕作する権利を保証される代わりに、年貢の負担を義務づけられ、その土地を離れることはできなくなりました。農民は大名に年貢を納め、大名はその量に応じて出兵などの義務を負います。こうして豊臣秀吉の、農地を基礎とした全国統一が果たされ、後の江戸時代の社会の基礎となるシステムが確立したのです。

戦いをやめようというメッセージ

戦国時代の争乱を根絶させ、平和な国土を建設しようと、豊臣秀吉は太閤検地の実施と同時にさまざまな施策を打ち出しました。惣無事令 (そうぶじれい) では、大名 間の争いをなくして、停戦や和平を求めました。豊臣秀吉自身の方針も、敵対する大名を滅亡させるのではなく、むしろ惣無事令を基調として、大名を存続させるものでした。他にも、村と村との争いをなくす喧嘩停止令 (けんかちょうじれい) 、刀狩令、海賊禁止令などです。そこに一貫して打ちだされている、戦いをやめようという秀吉のメッセージは、戦国時代に疲れた人々の支持を得たと想像されます。

戦国時代は終わり、村に平和が訪れた

戦国時代は、戦地となった村は、田畑は荒らされて、米や麦などの作物は略奪されました。村人は、災いを避けるために城に籠もったり、山に逃げ込んだりしなければなりませんでした。山の中での苦しい生活に耐えなければならないだけではなく、もちろんその間は田畑の仕事はできません。それが農作物の安定した生産ができない原因にもなったはずです。

農村の出身とも言われる豊臣秀吉は、その合戦での戦略でも、城を包囲して食糧の供給を断つ兵糧攻めが得意でした。そして味方の食糧は常に確保していたようです。それも現地からの収奪ではなく、不足するときには商人から買ってでも確保していたそうです。貧しい境遇から天下統一を果たした豊臣秀吉は、米の大切さを身にしみて知っていたようにも想像できます。洪水で淀川が決壊したとき、巡視に出た秀吉は自ら土俵を運び、これを見た皆が働き、大水を止めたというエピソードも伝えられています。

群雄割拠をなす戦国時代にその運と実力で天下統一の夢を達成した豊臣秀吉。その夢はときには野望とも呼ばれます。しかし、百年も続いた悲惨な戦国時代に終止符を打ち、平和をもたらしたのが豊臣秀吉であることも確かです。

武田信玄

石田三成