空海(くうかい) 宝亀五年 (774年)〜承和二年 (835年)

空海

平安初期の憎。真言宗の開祖。初め大学に学び、後に仏門に入って四国で修行した。延暦二十三年 (804年) 、唐に入って恵果に学び、真言密教 (一般の人々には分からない秘密の仏教) の奥義を授けられる。京都の東寺、高野山の金剛峰寺を経営した。真言密教を国家仏教として定着させ、また身分を問わない学校として綜芸種智院を設立した。詩文に長じ、また日本三筆 (書道の達人の三人) の一人。弘法大師。

山林修行で虚空蔵求聞持法を会得

空海は宝亀五年、讃岐国 (現在の香川県) で生まれました。幼名は真魚(まお)といい、大変賢い子供であったので叔父に勧められ奈良の大学に学びます。しかし大学で学ぶ儒学では社会の矛盾を解決できないと考え、大学をやめて山林修行を始めました。四国や大和の霊峰で厳しい崖によじ登るなどの荒行をつみます。この時期に、謎の僧に出会い虚空蔵求聞持法 (こくぞうぐもんじほう) を学びます。これは「ただちにすべての経典の文句を暗記でき、意味が理解できる秘法」であり、一度見たり聞いたりしたことは絶対忘れなくなる、というスーパー記憶術でもあります。空海は虚空蔵菩薩の真言を作法に従って百万回となえるという修行に励み、あるとき、室戸岬の近くの洞窟で 虚空蔵求聞持法の化身である明星があらわれて口に入り、ついに会得したと伝えられています。その後、奈良の寺院の蔵の中で「大日経」を発見し、密教の世界に触れます。しかし、「大日経」を解説できる者は当時日本にはいませんでした。空海は密教の奥義を極めるために中国へ渡ることを決意します。

唐で密教の奥義や土木技術を会得

延暦二十三年 (804年)、空海は遣唐使船に乗り、留学僧として唐に渡りました。嵐に遭い、4隻中2隻が難破するような苦難の旅の末に、ようやく唐にたどり着き、中国密教の頂点に立つ青龍寺の恵果のもとを訪れました。このとき、不思議なことがおこりました。恵果は彼を待っていたというのです。空海を一目見るなり、「来るのがわかっていた。久しく待っていた」といったのです。恵果は他の弟子が驚くのを制止して自分の持っている全ての知識を空海に伝えました。そして、千人余りもいた弟子の中から、異国の僧である空海を抜擢し、真言密教第8世法王に任命しました。

その3ヶ月後、恵果はすべてを空海に伝授して使命を終えたかのように亡くなります。空海は20年の留学期間を大幅に繰り上げて帰国し、真言密教の正統な後継者として教義を日本に持ち帰りました。また同時にさまざまな文化や技術を身につけており、詩人、思想家、漢文学者、書道、医療、芸術、教育、土木にわたる多彩かつ超人的な才能を発揮しました。

満濃池の修築など、数々の田んぼに貢献

讃岐国は古くから開拓が行われた土地ですが、雨が少なく、水不足でなやまされていました。讃岐平野の農民は独特の水利システムを作り上げ、ため池や水路を数多く開発していました。その一つが満濃池です。この池が弘仁九年(818年)に大決壊しました。築池使 (池を作る専門家) が、3年の月日をかけて修築工事を進めましたが、うまく復旧できません。そこで、築池使は空海を要請しました。弘仁十二年 (821年) 、空海はこの要請にこたえて弟子一人と童子四人を従者として讃岐に向かいました。

空海は到着すると祈祷 (きとう) を施し、その後、工事の指揮をとって、3年がかりでもできなかった難工事を3ヶ月でやり遂げました。修築が短期間で成功したのは、空海を慕う民衆が多数工事に参加したこと、空海本人の土木工事の知識、そして渡来系技術者集団の高度な技術を存分に利用できる立場にあったことなどが理由として考えられます。また。空海はこの工事で堤防をアーチ型 (曲線状) に設計しました。アーチ型にすると、大雨が降ったときに急激に増す水圧が分散され、直線のものよりはるかに高い水圧に耐えられるそうです。土木技術者としての空海の実力をまざまざと世に知らしめた修築工事でした。その後、空海が作った池や橋、道路などの伝説は全国にわたります。

降雨術で旱魃をとめる

空海は降雨術の名人でもありました。西寺の僧と祈雨 (きう) 争いをしたとき、西寺の僧が京都一円に雨を降らせたのに対して、空海は天下に雨を降らせたため、以来、空海の法力の強さが有名になったと伝えられています。

「今昔物語集」にはこんな話があります。今は昔、国中に日照りが続き、すべての作物が枯れてしまいました。このとき、弘法大師は「私の修法のなかに雨を降らせる法があります」と神泉苑 (しんせんえん) で請雨経 (しょううきょう) の法を行いました。七日間修法を行っていると、壇上に五尺 (約152cm) ぐらいのヘビが出現しました。そのヘビを見ると、五寸 (約15cm) ぐらいの金色のヘビを頭にのせています。やがてヘビは池に入りました。弟子の僧が、このヘビが出現したのはどういうわけかお聞きすると、弘法大師はこうこたえました。「天竺に阿耨達智池 (あのくだつちいけ) という池があります。その池に住んでいる善如竜王 (ぜんにょりゅうおう) がこの池に通ってきているのです。そこで、この修法に効験があることをお示しになろうと出現したのです」。こうしているうちに、突然空が曇ってきて、北西の方角から黒雲がわきでて、国中に雨が降り、旱魃 (かんばつ) は終わりました。こうして空海は京の都を旱魃から救いました。これ以後、旱魃のときは、この修法を伝えている人によって、神泉苑で雨乞いが行われ、必ず雨が降ったと伝えられています。

山は田んぼの神様がいる場所、水が来る場所です。地方豪族の出身であり、村に住み、農民の立場も良く理解していた空海が、立身出世の道を捨て、民衆の救済を目標としたとき、山林修行から始めたのは偶然ではないように思えます。水利工事により各地の田んぼに貢献し、また降雨術で旱魃から人々を救い、さらに庶民教育のための私立学校・綜芸種智院を設立して教育に尽くすなど、空海はまさにオールマイティで活躍した庶民のスーパーヒーローです。

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