大正13年、泥炭地に打ち込まれたツルハシの力。国づくりを支えた北海幹線用水路

頭首工の建設

友成仲はまず、空知川左岸の赤平市で頭首工 (とうしゅこう=用水の取り入れ口の施設) の建設に着手、 1926 (昭和元) 年に完成させました。空知川から水を引き入れる、北海かんがい溝の始点です。

  • 水の取り入れ口
  • 完成後の水の取り入れ口:ハンドルを回して水門を開閉
  • 北海かんがい溝 (工事中)
  • 北海かんがい溝 (完成)

頭首工完成後、友成仲は南幌町までの約80キロメートルに及ぶ長大水路の建設に着手しました。

高柳「重機がないなかで、全部、人力でやられていたんです。 人力で約80キロ、広大な用水路をツルハシやスコップで、 掘削したり、土を盛ったり。血と汗の結晶です」

資材運搬に使うのは馬で、もちろん風雪との闘いも並大抵ではなかったでしょう。

  • 積雪のなか、工事は進行
  • 潜水しての作業

さまざまな水の道

高柳「河川や道路、鉄路があったため、水の道を通すのに水路橋や逆サイフォン、 トンネルなどでクリアする難工事だったようです。水路橋はその名の通り、水を渡す橋です」

  • トンネル (工事中)
  • トンネル (完成)
  • ペンケ水路橋 (工事中)
  • ペンケ水路橋 (完成)

美唄川と交差する地点では、水路橋ではなく、河川の下を潜らせて水を渡しています。 逆サイフォンの原理により、低い場所から高い場所へ水を揚げています。 コンクリート管を埋設したもので、流出口で水が吹き上がって、 高い位置に水を揚げることが出来る仕組みです。

  • 美唄川サイフォン (工事中)
  • 美唄川サイフォン (完成):貴重だったコンクリートを使用

工事に従事した北海土功組合の職員は、主任技師から工事補まで含めても、 最盛期ですら50名を超えず、「不眠不休」だったと伝えられています。

人々の総力を挙げて、北海かんがい溝は1929 (昭和4) 年4月末日、わずか4年4ヶ月の短期間で竣工しました。 ここに日本最長の農業専用用水路が完成し、悲願であった通水を見ることとなったのです。 高柳「すごいのは、1/3,000~1/4,000勾配を実現している点です。 ほとんど落差がない緩い勾配で、動力を必要としない自然流下を実現しているんです。約80キロメートルの始点と終点で、28メートルしか落差がないんです。5階建てビル程度の高さです。いまみたいな近代的な測量技術がないなかで、すごいことだと思います」

手掘りの用水路

泥炭地水田造成の苦闘

次に待っていたのは、泥炭地を水田に造成するという苦闘でした。 友成仲は、通水を翌年に控えた1928 (昭和3) 年から、6年間で実に11,000ヘクタールの増田事業に着手しました。排水のきかない泥炭地はぬかるみで、大きな下駄を履かなければ作業が出来ず、重労働は続きました。さらに、湿地のために雑草は伸び、除草にも大きな労働力が必要でした。 高柳「客土 (他所から土を運び込むこと) も、普通は馬橇 (ばそり=馬に曳かせたそり) でしていましたけれど、 大規模な空中ケーブルを作って運んでいたようです」 排水、客土などの土地改良の努力は徐々に実を結び、かつての不毛の原野は、 主要な稲作中核地帯となりました。先人の英知とフロンティア精神が実を結んだのです。

空中ケーブル

第二次世界大戦後は極度の食料不足にともない、食料増産が国策として急務とされました。 そのため北海かんがい溝でも、国営事業としてかんがい排水事業「美唄地区」が着手され、 水洩れのロスを防ぐために全路線でL字型コンクリートによる装工を行い、 土水路から現在のコンクリートの北海幹線用水路になりました。

  • L字型コンクリートによる装工
  • コンクリートの水路

北海幹線用水路は、空知地域2万6,000ヘクタールの水田農業振興を支え、土木技術が蓄積された歴史的にも重要な施設として2004 (平成16) 年10月に「北海道遺産」に、2006 (平成18) 年2月に「疏水百選」に選定されています。 ※北海道遺産=北海道に関係する自然・文化・産業などの中から、 次世代へ継承したいものとして北海道遺産構想推進協議会が選定した有形無形の財産群です。

北海道遺産

稲作限界標高1,000メートルでの挑戦を支える白樺湖の美しい素顔

夢を捨てない久米島農業人に神が味方したカンジンダム