第一話「火に焼けなかったお絵像」

第一話「火に焼けなかったお絵像」

今は昔 (『今昔物語』はどのお話もこの言葉からはじまります。むかしむかしの物語だよ...という前置きですね) 河内の国、石川の郡 (こおり) (いまの大阪府の南東の端あたり) に、八多寺 (やたでら) というお寺がありました。お寺のそばに貧しい女がひとりぼっちで住んでいました。
女は夫にさきごろ、死に別れたばかりでした。

夫の亡くなったとき、女は、夫の供養 (くよう) に、阿弥陀さまのお絵像をお寺へ奉納したいと思い立ちました。本堂に安置して頂いて、亡き夫のため、わが身の後世 (ごせ) のためお祈りすれば、どんなに心が安らぐかしら、淋しさ、恋しさも癒されるにちがいない、と思うのでした。

...でもお絵像は絵師に頼まなければなりません。それには、たくさんのお礼が要ります。
......どうやってそれを用意できるでしょう。
貧しい女は自分一人の身すぎがやっとなのです。月日はむなしくたって、秋になりました。たんぼでは稲刈りがはじまります。

刈り終えたたんぼに、落ち穂が散っていました。 (そうだわ!) 女はふっと気付きます。

(落ち穂を拾い集めて、絵のお代にしよう)

夢中で女は拾い集めます。一粒一粒まで心こめて、阿弥陀さまを念じながら拾いつづけました。やっとたまった落ち穂を、女は絵師のもとへとどけ、おずおずと、かねての願いを口にしました。

絵師は快く引き受けました。本当をいうと、袋いっぱいの落ち穂も、お絵像制作の代金には足りませんが、絵師は、女の純粋な信仰心、けなげな心に打たれたのです。

「わかりました、それはご奇特 (きどく) なこと、私もあなたと心を合せ、阿弥陀さまを深く念じて、お姿を写しとどめたいと思います」

...やがて、阿弥陀さまの美しく尊いお姿が出来あがりました。女は喜んですぐさま、八多寺の本堂に安置し、いつもうやまい、手を合わせて拝んでいました。生きる拠りどころがやっとできた思いで、女はもう、孤独ではなく、しあわせでした。

ところがある夜。

「火事だあっ。お寺が燃えているぞっ!」
という村人の叫び。村中の人々が消化しようとけんめいにつとめますが、火の勢いがつよく、みるみる、お寺は炎に包まれます。

「阿弥陀さまが...お絵像が...」

女は泣きながら、火の中へとびこもうとして、人々にとめられました。あとでわかったことですが、盗人が物を盗ろうとして、放火したのでした。

すっかり焼け落ちた本堂。......ところが白い煙のくすぶる中から、人々の叫びがあがります。

「お絵像は無事だったぞ! そら、きず一つ、おありにならず、焼け残ったぞ!」

女はかけ寄ります。もとのままの、美しく尊いお姿がそこにありました。ふしぎだ! 奇蹟だ、あのほむらの中を紙に描かれたお絵像が無事だったとは。...女はうれしくてものもいえず、泣きながら手を合せました。阿弥陀さまは、ほほえんでいられるようでした。誰いうとなく、ささやきがひろがります。女の深い信仰の心、絵師のうやうやしい気持、それらを仏さまは汲みとって下さって、ふしぎな験 (しるし) をみせて下さったのだ。苦労して落ち穂を拾い集めた、貧しい女の信心を、仏さまは憐れんで感応 (かんのう) して下さったのだ。...

夜あけの空に、人々のどよめきはしずまりません。そして村人たちもまた、尊いお絵像を拝み、信心のめでたい霊験 (れいげん) に感じ入るのでした。

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