第七話「海からの贈り物」

第七話「海からの贈り物」

今は昔、能登守 (のとのかみ) なにがしという人がいました。この人は心正しい人で、国の内の仏さま神さま大切に尊び、国をよく治めました。

私心なく公務を執 (と) りおこなったせいでしょうか、国内は平和で、自然さえ協力し、風雨 (ふうう) その時を得て順調に、米・麦その他の穀物もよくみのりました。

作った田畑はみなうまくいったので、隣の国の人々もやって来て、岡・山まで耕し広げました。

人々もうるおい、国も税収もふえて、守 (かみ) 自身も裕福になりました。能登という国は、元来、たくさんの国々の中では、さして裕福でも大国でもない、中ぐらいのクラスの国でしたが、守 (かみ) が善い政治をすると、こうなるのですね

たとえば、守は、折にふれ、国のあちこちをめぐってあるき、田畑の作りよう、人の働きぶりなどを視察しますが、そういうときでもたくさんの供は連れず、農民たちとの間に立って話のできる者を四、五人、連れてゆくだけでした。自分たちの食べるものは、行く先々で面倒をかけないように、お弁当を持っていきました。

以前の国守 (くにのかみ) たちが視察するときはその地方地方の当事者たちが、しかるべき贈り物など用意するのが常でしたが、この守はそれを許しません。

「贈り物を頂く、というのはありがたいことだが、決してそういうことはしてはならぬ。私の任期中は、みんなは、ただ田畑さえ、しっかり作ってくれればよい。それが土地の人々にとっても好都合ではないか。そうやって、税金も督促されるまでもなくさっさと払う、と、こうなれば、どっちを向いても理想的なやりかただと思うがね」

こういう考えを国中に申し渡したので、人々は手を拍って喜び、田畑を熱心に作り、それぞれが豊かになりました。それゆえ、税も物惜しみせず集めて納めましたから、守 (かみ) 自身も富裕になりました。

あるとき守は視察の道で浜辺を通りかかりました。沖の方小さい丸いものが波に浮かんでいるのがみえます。馬をとめて、「あれは何だろう」と聞きますが、お供の者たちは「何も見えません」といいます。やがて風が沖から渚 (なぎさ) へ吹き寄せたので、漂流物は浜辺に流れつきました。弓でかき寄せてみますと、平たい桶を、縄で幾重にも縛ったものでした。取りあげて縄を切って開いてみると、水にぬれないよう、何度も油を塗った油紙に包まれた箱です。その箱は藤蔓で結 (ゆ) わえてある。

それを解いて箱をあけると、こんどは、糸で結わえてある漆 (うるし) ぬりの箱があらわれました。

こんなに大事に包まれたものは、何でしょう?

漆ぬりの箱をあけると、中からあらわれたのは犀 (さい) の角 (つの) です。角を切って重ね四角に結わえてあります。取り出してみると石帯 (せきたい) 用にざっと作ったのが三腰 (みこし) ぶん、入っていました。

犀角は日本にはありませんので、石帯などの装飾用や薬用として輸入される貴重品でした。

…石帯というのは、高位の人の正装のとき、腰にしめるベルトですが、背の部分に貴石や犀角を付けるので、犀角はとても高価なのです。

たぶん、震旦 (しんだん) (中国) の人が暴風雨で難破して海に投げ入れられたとき、持っていたものが漂着したのかもしれません。はからずも手に入った珍貴な宝物を、守 (かみ) は喜んで持って帰りました。のち、京で石帯作りの職人に三腰 (石帯は一腰、二腰と数えます) の石帯を作らせました。方形の一腰は、お米三千石に価し、円形の二腰はそれぞれ千五百石に価しました。守は思いもかけぬ宝物を得て家宝だとたいへん喜びました。世の人々は、守が神仏を尊び、善政を敷いて人々をよくみちびき、やさしくいたわったために、神仏がごほうびを下さったのだろうと、噂しました。

第六話「竜神の雨」

第八話「からくり童子」